2024年10月1日発刊の「橋梁新聞」に、
当社の吉田技術顧問が語る「西瀬戸自動車道開通25周年記念」の記事
第2回が掲載されました。
本四高速OBとして当時の思い出を語っています。ぜひご覧ください。


橋梁新聞 20241001号 吉田技術顧問記事
橋梁新聞 2024年10月1日版

西瀬戸自動車道開通25周年記念
第3ルートはこうして造られた④
~本四高速OB 吉田好孝氏の話から~

本州四国連絡高速道路西瀬戸自動車道(瀬戸内しまなみ海道=尾道・今治ルート)開通25周年を記念し、本四高速OBが当時の思い出を語る特集企画。4回目の今号は前回に続き、大三島橋、多々羅大橋の調査・計画などを経験後、児島・坂出ルート、明石海峡大橋の工事および尾道・今治ルートの管理を担当した吉田好孝氏に、大三島橋の設計時から関わった鋼部材の「座屈実験」をテーマに回顧、論述していただきます。(担当:片山宏美)

(1)座屈実験

本州四国連絡橋公団入社後すぐに、土木学会委託の本州四国連絡橋鋼上部構造研究小委員会の中の座屈分科会の担当を命じられた。主査は当時の福本唀士名古屋大学助教授であった。これが私と大三島橋との関係の第一歩である。

鋼橋や鋼構造の設計において鋼部材の座屈強度を把握することは必須である。当時の座屈分科会で調査対象としていたのは、リブ付き補剛板構造であり、その耐荷力の正確な把握が求められていた。このリブ付き補剛板が実際に使用されるのは、吊橋主塔、鋼製箱桁橋、そして鋼箱型断面を有する大三島橋のアーチリブであった。特に大三島橋のアーチリブは、吊橋主塔に比べて比較的薄いウェブやフランジから構成され、そこに多数の補剛材が何段にもわたって配置されるという、例のない構造であった。

当時の道路橋示方書には多リブ付き補剛板の規定はなく、板の真ん中に軸方向のリブが1枚入っただけの角柱の座屈実験結果が掲載されているだけであった。この角柱でも溶接ひずみや溶接残留応力の影響で、部材の耐荷力はオイラーの座屈耐荷力曲線から大きく低下することが示されていた。しかも大三島橋のアーチリブは、圧縮軸力が主体の吊橋主塔と異なり、曲げモーメントが大きいという特徴があった。このような多リブ付き補剛板構造の耐荷力について、わが国ではほとんど知見がなかったのである。

一方で海外においては、数年前に溶接鋼箱桁橋であるコブレンツ橋が落橋するなど、深刻な二ュースが伝わってきていた。そこで座屈分科会ではできるだけ大きな溶接補剛板の供試体を製作し、座屈実験を行ってその耐荷力を把握することとした。供試体の強度は補剛板側面端部の境界条件にも左右されるため、供試体は箱形断面柱とした。このような大型の鋼製箱形柱を座屈させるために、わが国で最大級の圧縮試験機が必要であった。当時、このような大きな供試体に対して圧縮試験を行うことのできる施設は限られており、最大級のものが広島大学にあった。この圧縮試験機は横置きの3000トン水圧式で、旧海軍の呉工廠にあったのだが、戦後、米軍に接収されないよう広島大学に移管されたという。

その後、私は西瀬戸自動車道を管轄する第三建設局建設部設計課に異動となり、座屈分科会の指導の下で座屈実験を広島大学工学部船舶工学科大型強度試験室において、また残留応力測定をIHI横浜溶接センターにおいて実施し、これらの実験を現地担当者として立会することができた。

供試体は長さ約3mおよび約3.4mの溶接箱形断面で、リブを軸方向に3枚配置し、フランジ、ウェブおよび補剛材の寸法を変えて8体製作し、軸方向圧縮刀と曲げモーメントの比率を変えて載荷した。実験状況を写真ー1および図ー1に示す。実験結果は主にウェブ座屈が支配的なケースと補剛板全体の座屈が支配的なケースが見られたが、概ね予想の範囲内に収まり、本四基準で定めた設計手法が妥当であることが実証された。なお、大三島橋の全体座屈に対する安全性については、当時の大阪大学の前田幸雄教授および林正助教授によって詳細な解析と丁寧な実験が行われ、安全性が確認された。全体座屈実験の状況を写真―2に示す。

(次回に続く)


※次号2024年10月21日版に続編を掲載予定です